松岡修造の特技はなんと英語!アメリカ時代の壮絶な努力!

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どうも、5教科の中で英語は一番苦手だった

ゆいやです。

今回は「もっと熱くなれよ!」で有名な

松岡修造さんの記事です。

松岡修造さんはザ・日本という形で

外国とは無縁な感じがしますが

実は英会話が得意だった!?

アメリカに住んでたときの壮絶な努力とは!?

どうぞお楽しみください。

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アメリカに住もうとした発端はテニス

松岡修造さんは高校の頃はテニスで

優秀な成績を得ており、ヨーロッパの

世界大会へ出場した経歴もあるぐらい

テニスが上手だったそうです。

しかし、ボブ・ブレッドさんの出会いと

助言によって、アメリカに行くことを決断

したのです。

「修造、ボブからの伝言だ。明日にでもアメリカに来い。日本に居たら強くなれないよだって・・・」「やっぱり君の力を認めてくれたんだよ。よかったな・・・」。ブレッドは彼を空港まで送った田沼に、松岡宛てのメッセージを残してくれていたのである。これを聞いた松岡は「ほんとですか・・・」と言って絶句したまま、何も言えなかった。「ブレッドがそう言ってくれるのなら、本当に明日にでもアメリカへ行こう」。このたった一言の「明日、アメリカへ来い」というブレッドの言葉が、松岡の人生を大きく変え、世界へと向かわせたのである。

出典:wikipedia

と書いてあるように、「アメリカに来い」

というたった一言で松岡修造さんは

アメリカに行くということを決定した

という凄まじい決断力がありました。

アメリカへ行くということは、簡単には

決断できないであろうと思います。

なぜなら、生活も違う、言葉も違う、人も

違う、文字も違う、そしてルールや法律も

違います。

僕ならこの一言でアメリカへ行くという

ことは絶対にしないので、松岡修造さんは

やはり凄い人だったということが感じ取れます。

それだけ、当時の松岡修造さんは

テニスに熱を注いでいたということもあり、

その頃から熱血な一面があったのではないか

と筆者は思っています。

しかしアメリカでは壮絶な苦労がありました。

壮絶なアメリカでの苦労!?

体力を強化するトレーニングを積む練習の日々は松岡に大きな充実感と喜びを与えたが、その一方で困ったのが言葉の壁であった。日常英会話程度であれば身振り手振りを交えやり過ごせたが、ハイスクールの授業は全く理解できず現地の知り合いもブレッド以外誰もいない。

出典:wikipedia

ということもあり、英語に対してかなり

困ったということが書かれています。

英語というのはとても難しく、

発音で全く別の言葉に捉えられたり、

何度も聞き返されたりするなど、

勉強がとても必要になります。

そこで松岡は決心し、自分の周囲から日本語の本/雑誌や音楽テープに至るまで辞書を除く全ての日本語を排除し始め、更に高校時代から書き始めた日記も英語で書くよう心がけた。数ヶ月後になるとこれが功を奏し相手の言っている事が理解できるようになり、それにつれて自分の言いたい事の大部分が何とか伝えられるようになっていた。

出典:wikipedia

ということで、松岡修造さんは

アメリカでの生活で、日本語というものを

あらゆる身近なものから排除に向かい、

英語という言葉を理解しようと必死に

努力をしていたということが

わかります。

松岡修造さんは数ヶ月の間

とてつもない努力を繰り返し、

ついには少しづつですが

英語を理解し始めました。

自分でやったことが功をなした

ということは計り知れない達成感

があると思いますし、今後も

この努力が無駄になることはないだろう

と思いました。

やはり英語を勉強するということは

とても厳しい道のりであり、

常人でも何時間もの努力と理解

必要です、気合の根性でその壁を

乗り越えたということは素晴らしいこと

だと思います。

まとめ

いかがでしたか?

松岡修造さんは熱血で面白いキャラと

感じがしていますが、アメリカ時代の

壮絶な努力をしていたということと、

テニスに熱を込める一心でアメリカに行くという

凄い決断力をお持ちであった方

というのがわかりました。

何かありましたらお問い合わせにお願いします。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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